職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

父のこと(その一)

 
 
私の父は少し変わった人です(ちなみにまだ生きています)
 
 
基本的には、とてつもなく無口な人なのですが、自分の趣味のことになると機関銃のように喋り始めて、飽きたらまた黙ります
 
 
特に厳しいことを言うわけでもなく、何かを強制するわけでもなく、かといって親しみを持って子供に接するわけでもなく、未だに彼が何を考えているのか私にもよく分かりません
 
 
父は長いサラリーマン時代があり、その頃はそれなりにつらいことはたくさんあったのだと思います
 
 
ですが、文句のようなことは一言も言わずに、働き続けていました
 
 
サラリーマンをしていて、時おり楽しいこともあったようですが、基本的には出世にも縁がなく、仕事に情熱を持っていたわけでもなく、本当に平凡なサラリーマンとして過ごしていたようです
 
 
私が幼少の頃も、母からはよく怒られるのですが、父から怒られることはほとんどありませんでした
 
 
とはいえ、たまにひどく怒られるのですが、父の怒り方は筋が通ってないような感じがして、変な怒られ方をしているように、子供ながら感じていました
 
 
何と言いますか、母から「あなたからもたまにはきちんと叱ってよ」と言われて無理やり怒っているような頓珍漢なタイミングでした
 
 
父はサラリーマンの最後あたりは、ほぼ仕事は仕事として割り切っていて、休日に行く将棋会所と競馬場だけが楽しみにしていました
 
 
定年した今も、その趣味は変わらず、この世には将棋と競馬しかないかのような過ごし方をしています
 
 
そして最近、あまり外出もしていなかった父ですが、ある時コロナにかかりました
 
 
それほど重いかかり方ではなかったのですが、ひどかったのは後遺症です
 
 
ほとんど起きていられなくなり、一日二十時間くらい眠る日々が続きました
 
 
本当に大げさではなく、一日に数時間しか起きていられなくなってしまったのです
 
 
何をするにもすぐ疲れてしまうようでした
 
 
食欲もなく、元気もまるでなく、私が実家に行っても、起きもせず横たわって返事もしません
 
 
そして、本当に毎日数時間しか起きていられず、それ以外の時間はずっと眠っているのです
 
 
これはもしかしたら、このまま逝ってしまうのではないかという予感はありました
 
 
それは私だけではなく、母も同じことを覚悟していたそうです
 
 
ですが、一ヶ月くらい経つと、父の起きている時間はほんの少しずつ長くなっていきました
 
 
食べたいものも少しずつ出てきて、少し喋るようになりました
 
 
そして、元気になったら新鮮な魚とか貝を食べたいと言うくらい回復してきました
 
 
私には姉がいるのですが、昔みたいに姉と私と父母の四人で旅行でも行こうという話をしてみました
 
 
それは一般的な家庭では当たり前かもしれませんが、私たち家族にとってはかなり久しぶりのことなのです
 
 
というのも、私は中学一年になったときに、家族と一緒には生涯旅行に行かないと宣言したのです
 
 
今考えるとなぜそんな家族を傷つけることを言うのだろうと思いますが、その時はそんなことに気付かずに、言ってしまったのでした
 
 
特に反抗期だったわけではありません
 
 
ですが、部活も始まりましたし、家族と出かけるのはちょっと恥ずかしいし、何よりも家族旅行がそれほど楽しい感じがしていませんでした
 
 
本当にもう家族旅行をしないのであれば、最後にみんなでいいところに行こう、ということで北海道の知床に一週間くらい行き、それ以来、本当に家族では一度も旅行をしなくなりました
 
 
家族仲が悪かったわけでもありません
 
 
その後も、会話が多い家族でしたし、母と姉がよく口げんかする以外は、特に問題はありませんでした
 
 
そして、ようやく父のコロナの後遺症は落ち着き、では治ったから家族でどこかに行こうという話になったのです
 
 
数十年ぶりのことでした
 
 
本日はここまでですが、次回もたいした事件は起きません
 

 

 

自分の肉親をきちんと語るというのは本当に難しいと思います。尊敬していると身内びいきみたいになりますし、軽蔑していると単に狭量な人の話になります。でも、この『猫を棄てる』は改めて率直に父を語る素晴らしい本ですね。
 
 
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