職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

『何でも見てやろう』小田実

 
 
現在はもう2022年になっておりますが、それでも『何でも見てやろう』を今読む意義は大きいと感じました
 
 
先日のブログで『深夜特急』とは似ても似つかぬ作品と申しましたが、読後もやはりその感想は変わりませんでした
 
 

 
 
それは、もう小田実沢木耕太郎のお二方の人物像が全く異なっているからです
 
 
時代というのもあるかもしれませんが、この小田実という作者は文中でも語られていますが、”日本の代表者”という自覚で世界各地を見てきています
 
 
ですから、全てが批評的で、思想の奥底には我が国日本というものが内包されています
 
 
だからと言って安易な日本賛美ではなく、卑下でもなく、極めて自分の内面に対して誠実に世界と向き合っている若者の姿があります
 
 
一方で『深夜特急』の著者は”日本の代表者”という意識は微塵もありません
 
 
完全に個人の旅人として世界をまわっているので、批評的な眼差しはなく、徹底的に自分と向き合っています
 
 
どちらがいいというわけではありませんし、私はどちらもこの上なく好きなわけですが、この比較は私にとって興味深いものでした
 
 
『何でも見てやろう』と『深夜特急』の比較というのは、誤解を恐れず言えば、祖父と父の世代の違いとでも申しましょうか
 
 
ただ、私がそんな御託を並べるよりも、実際にこの本を読むといろいろな意味で楽しむことができます
 
 
例えば、これは1958年の旅行記ということで、64年前の世界各地の様子です
 
 
ですので、当時の世界の様子が生々しく書かれていて、時間旅行をしている気分でページをめくるたびにわくわくします
 
 
例えば、小田実は旅行中にちょっとした危機的状況というものに幾度も遭遇しますが、日本人だと名乗ることで、各地の外国人に手助けしてもらえます
 
 
当時は日本人というだけで、それなりのリスペクトを受けていたようです
 
 
まだバブル前とはいえ、日本の工業製品やラジオなどの機器含めて禅などが世界に浸透していて、それなりの勤勉さなどが知れ渡っていたようです
 
 
私も最近はあまり外国を旅行していませんが、現代では完全に失われてしまった、世界各国の感覚だったのかもしれません
 
 
そういった意味では、失われた日本の栄光が、かつては世界各地にあったのかもしれないと思うと、すでに失われてしまった世界を創造することができます
 
 
ただ、この本を究極的に面白くしているのは、やはりこの人の人格でしょう
 
 
最初に留学に行くときの面接のエピソードからしてもそうです
 
 
アメリカ人と会話したことがないだろう?」
 
 
と面接官に言われて著者はこう答えます
 
 
「そんなことは俺の英語を聞けば分かるだろう」
 
 
この切り返しだけで、ただ者ではないということが分かります
 
 
そして、著者はこのやりとりをしたことで、合格は間違いないと確信したそうです(なぜ???という感じもしますが)
 
 
おそらく彼は現代にいても、人々の興味を引きつける存在になったでしょう
 
 
旅の終盤に、彼はインドを旅行します
 
 
そしてインドの乞食たちと供に二晩眠り、本当の貧困というものを知ります
 
 
もちろん、この洞察力のある著者だから貧困がなんたるかすでに知っていますし、それまでの旅行でもとんでもない貧乏旅行もしているので、分かっていたはずですが、それでも頭で理解するのと経験するのとでは全く違うと感じて、貧困という真の重みに気付きます
 
 
私も一ヶ月ほどインドをまわったことがあるのですが、最初に町中に大量に転がっている麻袋に人間が眠っているところを見て度肝を抜かれました
 
 
彼の場合はその中で一緒に眠ったわけですし、当時のインドはさらに貧しかったでしょうから、私では想像の及ばない世界です
 
 
そして思うのですが、著者のこのインド旅行は、ある種もう後戻りできないような体験になってしまった可能性があります
 
 
もう少しきちんと説明させていただくと、あまりに悲惨な光景を見てしまうと、もう少年時代のように笑えなくなってしまった、というような
 
 
もちろん、何の根拠もない私の勝手な推測ですので、外れているかもしれません
 
 
ですが、彼に比肩できる経験ではありませんが、私のインド旅行はまさしくそれでした
 
 
いずれにしても、世界というものについて少し考えたいという方にはうってつけの紀行文です
 
 
古い時代のものですが、60年以上前の世界の様子や、たくましい著者の気質などがあり、現代だとさらに斬新に読めるかもしれません
 
 
紀行文というのは、同時代のものを読むと現実的な参考にもなりますし、非常に楽しいものですが、過去の紀行文というのは、それにタイムスリップを加えたような醍醐味があります。イザベラバードのように古い歴史家のものはそれなりに発売されていますが、私たちの祖父や父くらいの世代のがっちりした旅行記は意外と少ないものです。そういった意味でも本書にはとてつもない価値があると感じました
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