職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

飲みながら裁量について考えてみる

 

 

少し時間に空きがあったので、とある立ち飲み屋でビールとレモンサワーを飲んでいました

 

 

このあと、夕食の予定があったので、おつまみは何も頼まなず、お酒だけを飲んでいました

 


そこで飲みながらブログを書いているのですが、目の前にはとある中華弁当屋の店員さんが、てきぱきと弁当の並びのフォーメーションを変えています

 


そして、タイムセールの時間がきたようで、半額にしたり、20パーセントOFFにしたりと、いろいろと戦略を変えていました

 


それなりにお客さんが多かったのですが、そのお店は店員さんは彼女一人で、孤軍奮闘していました

 


私は彼女がアルバイトなのか、社員なのか、オーナーなのかは知りません

 


ですが、彼女のやり方によってはずいぶん売り上げは違うのだろうなぁという気がしました

 


何人かのお客さんは彼女に話しかけて、交渉のようなこともしていますので、それなりの裁量はお持ちなのだと思います

 


その光景を見ながら、私は裁量というものについて思いを巡らせました

 


例えば、この女性がアルバイトだと仮定します

 


その場合、どれだけ売ったとしても時給が上がることはありません

 


そうだとして、裁量が全くないケースと、完全な裁量を与えられているケースのどちらが彼女にとって充実しているでしょうか

 


一つは、勝手な行動は許されず、お客さんが持ってきたお弁当をただただレジ打ちだけすればいい、と言われているケース

 


もう一つは、積極的な声掛けをしたり、弁当の配置を変えたり、タイミングを見ながら割引シールを貼る権限も与えられているケース

 


誰がどう考えても後者の方がやる気も出ますし、売り上げも伸びるような気がします

 


もちろん本部としては、そんな裁量を与えて勝手な安売りをされては困りますし、適当な声がけされても企業イメージがあるから困るのかもしれません

 


そういった企業サイドの思惑は一旦置いておいたとして、働き手の立場から考えると、裁量が与えられる方が自由に動けるので、自分の頭を使いながらやりたいように働けることに間違いはありません

 


翻って、全く裁量が与えられなければ、確かに何も考えずにぼーっと過ごせる上に、同じ時給がもらえるとは言うものの、実際のところ、それほど魅力的な職場にはなりえないように思いました

 

 

元来怠け者の私ですら、裁量があったらどうやって中華弁当をたくさん売ろうかなと考えてしまったくらいです

 


裁量があった時代から裁量がなくなった時代の転換期を経験した人でしたら、その変更により間違いなく辞めていることでしょう

 


ここに一つ、仕事というものをどのように選ぶかというヒントがあるように思います

 


あまりふさわしい言い方ではないかもしれませんが、小説家というのは極めて広範囲な裁量が与えられています

 


というよりは、作家には裁量しかありません

 


私はこの裁量というものに憧れているのかもしれません

 


もちろん、その分厳しい戦いになります

 


売れなければ、その責はほぼ作者が受け入れざるをえないでしょう

 


ですが、その責任は裁量と等しい関係であり、失敗しても後悔がないと言いますか、全て自分に帰することになるため、次回への反省が基盤となって次の仕事に臨むことができます

 


「人間」として生を最大限全うするという意味では、この裁量というものは極めて重要な要素で、全く思考や創意工夫の余地のない仕事をしていると、日々はその人の感覚を麻痺させていき、そのうち完全に無気力な人間へと変えてしまうような気がします

 

 

ですので、安定しているサラリーマンを捨ててでも、自営業の世界に飛び込んでいく方々というのは、まさしくこの裁量という一点に尽きるのかもしれません

 

 

 

全然関係ありませんが、新しいKindle端末が出たようですね。スペックは最も低い機種ですが、一番軽そうです。が、私はすでに別のKindleを二台持っているので、今回は見送ろうと思います

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