職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

ずっと挑戦者が幸せ(前編)

 

 

唐突に奇妙なサブジェクトにしてしまいました

 

この前、散歩している時にそんなことをふと思いました

 

例えば、与党の政治家と野党の政治家がいますが、見ていてどっちが幸せそうに見えますでしょうか

 

守勢にまわらざるを得ない与党の答弁を見ていると、いかにも苦しそうですし、それなりの労力をかけて準備をして、臨んでいるのが分かります

 

首相が答弁するために、どれだけの数の役人たちが徹夜をしながら資料をまとめていることでしょう

 

あらゆる問答を想定して、数字で証明して、要約して、グラフにして、、、

 

私は政治とは無関係の人間ですが、サラリーマンの一人としてそういうスタッフたちの気持ちはよく分かります(政治家と官僚は違うと思いますが)

 

一方で、強い口調でまくし立てて批判する野党は、与党の人に比べると自信に満ちていて、何と活き活きとしていることでしょう

 

心の底から相手が間違っていると信じて、自分の批判には正当性があると確信している様子が見てとれます

 

そして、彼らは自分が政権をとったら、もう少しましな政治ができると信じているのでしょう(少なくとも国民からはそのように見えます)

 

何となく個人名が浮かんでしまうかもしれませんが、今回の趣旨は誰か個人の批判とかではなく、立場というもので人の幸福感は変わるのではなかろうか、ということを申し上げてみたいと思います

 

今回は政治家を例に挙げてみましたが、最終的には与党を目指すのが政治家の目標なのだと思います(目指しているふりだけしている場合もあるのでしょうか。。。)

 

ですが、前述したように与党の人は苦しそうで、野党の人は溌剌としています。にもかかわらず、野党は与党を目指さざるを得ない存在です。ただ一方で、いくら活き活きしていても目指しているものになれなければ、満たされず不幸なのでしょう

 

やや単純化した図式ではありますが、この流れでいくと双方とも幸せにはなれないということになります

 

ということは政治家を志した以上は、幸福になれないということです

 

もちろん、政治家として地域を代表した発言をしたり、何か制度を作ったり、社会の暗部を訴えたりと、世の役に立っているという実感があれば、幸福を感じることもあると思います

 

ですが、野党ではあまりに裁量がなく、やりたいことが実現できないでしょう。そして与党になると、それが実現するどころか、野党からの突き上げや、国民からの不信感を受けることになります。そして、辞めろとか、政治家の給料を削減しろと、罵声を浴びせられるでしょう

 

どちらも苦しい立場です

 

つまり、政治家を志してからどのような着地点であれ、それほど幸福にはなれないのではないか、、、と散歩をしている時にふと思ったのでした

 

そして、そこからむくむくとまた職業というものを考え始めてしまうのです・・・

 

皇帝たちの中国史

皇帝たちの中国史

 

 

最大の権力を手にした人ですら、それほど幸せになっていない。この本を読むとそんなことを思うかもしれません

 

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