本屋の跡継ぎ(後編)
さて、前回からの続きです
社長の甥であり、次期社長と目されるユウスケさんの話です
ユウスケさんと私は同い年でしたが、大学生時代の彼は全てにおいて私より一歩先んじていました
例えば、私が読んでいる本を彼はあらかた読み終えていましたし、海外旅行も先に行っていましたし、車の免許も先に取っていました
さらにユウスケさんは何だか大人びた人物でもありました
例えば、こんなこともありました
本屋のアルバイトに私の一つ上のフリーターの女性がいました
もしかしたら今でいうメンヘラという定義に近い方だったかもしれません
少し変わった女性でしたが、最初に私に本屋の仕事を教えてくれた人なので、感謝していましたし、一緒にレジに入った時は楽しくお話をしていました
ですが、彼女はアルバイトを始めてから半年も経たないうちに辞めてしまいました
それからしばらくして、ユウスケさんが来たときに私にこう言いました
「彼女、辞めちゃったね」
「はい、最初に仕事を教えてくれた人なので残念です」
「何でか知ってる?」
「なんか、飽きっぽい性格だからとか言ってましたね」
「僕は彼女と寝ちゃったんだ」
最初は何を言ってるか分かりませんでした
そもそもあの行為のことを、寝たと表現するのは、ドラマか村上春樹氏の作品でしか聞いたことがなかったので、現実世界で急に聞かされても理解するのに時間がかかりました
彼はそう言うと、遠い目をしながらお客さんの本にカバーをかけていました
そして、彼はよく海外旅行に行っていました
山田くんが言うように確かに沢木耕太郎の影響を如実に受けていて、だいたい沢木耕太郎が行った場所を網羅しているようでした
香港、タイ、シンガポール、インド、ヨーロッパと小刻みではありますが、深夜特急のルートに沿って外国に行っていました
そして、なぜか分かりませんが、ユウスケさんは海外から私にしょっちゅう手紙を送ってくれました
しかもハガキに数行書くといった短いものではありません
五枚くらいの便箋にびっしり文字を書いている長いものでした
内容は私宛てのメッセージでも何でもなくて、まさしく彼の独り言のような旅行記で、朝起きてカフェに入って、その後街を歩いた、のような紀行文で、私宛ての手紙としてはどう理解していいのか分からないようなものだったのです
例えば、その中で彼はこんなことを書いていました
-朝、隣にで寝ていた彼女が起きて下着をつけているときに目が覚めた。昨日リスボアにあるバルで知り合って意気投合したことは覚えているが、そこからの記憶はない-
本当かどうかは分かりません
私は彼が村上春樹氏のことも好きだったことを思い出しました
ユウスケさんは大して働くこともなく、好きな本を買って、好きな国に旅行に行って、都内で一人暮らしをしていて、ただの貧乏な学生だった私は彼のそんな生活が羨ましかったのを覚えています
私の未来は何も見通しがありませんでしたが、彼にはすでに安定した未来が待っているように見えました
そして、彼と知り合って数年が経ち、私たちも就職活動をすることになりました
私はあまり就職活動に前向きにはなれず、大学四年の途中から始めたのですが、ほとんどの有名企業の採用はすでに終わっていました
一方、ユウスケさんは大学三年の終わりから始めていて、アクセンチュアという世界的な有名企業の就職を決めていたのです
ご存知の方も多いと思いますが、アクセンチュアはコンサルティング業務を行う会社で、彼の志望動機もしっかりしていました
小売業についての実務を知りソリューションを学ぶことによって、来たるべき本屋を継ぐ日に向けて準備をする、というものだったのです
ちょうどその頃、社長は亡くなり、その弟が社長を引き継いでいました
私にはユウスケさんが社長になる日が着々と近づいているように感じられたものです
そして、私もいよいよ就職活動を本格的に始めるために書店のアルバイトを辞めることにしました
都内に六店舗あるこの書店は、ユウスケさんという後継者もいるし、さらに繁栄していくのだろうと思いながら、私はその書店を去りました
それから十年ほど経った時、この書店についてニュースを目にしたのです
支店は次々と潰れていき、本店だけほそぼそ続けていたのですが、最終的には自己破産して、事業停止したということを知りました
書店を辞めてからユウスケさんとは会っておらず、かつ噂も聞きませんでした
だから、彼がどうなったかは分かりません
最後に本店だけ残っている時に、私は一度だけその店に訪れました
もしかしたら、ユウスケさんが再起を図りながらレジに立っているのではないかと期待して、仕事終わりにその本屋に寄ってみることにしました
ですが、ユウスケさんの姿はなく、アルバイトらしき人が一人で暇そうにレジに立っているだけでした
そのアルバイトの方に、ユウスケさんのことを聞いてみようかとも思いましたが、自制しました
そんな風に安易に確認するべきではないと思えたのです
今でも私は、ユウスケさんはどうしているのだろうと想像することがあります
知りたいような気もしますし、知りたくないような気もします
あれだけ温床に育ってプライドが高かった人が、悲惨な状況に陥ってしまったらどうなるのだろうと、恐ろしい想像をしてしまいます
一方で、もしかしたら今でも職務質問されたら「アクセンチュアの社員です」と誇らしげに言いながら、どこかの女性と寝ているのではないかという淡い希望もあります
よくメディアなどで大学生くらいの人がブレない気持ちで、自分の将来の成功を疑っていない勇ましい発言をするところを見ることがあります
私は彼ら彼女らに何かを言うつもりはありませんが、なぜかわずかに胸が痛んでしまうのは、私がユウスケさんという人物と知り合ったからかもしれません
大学生が描いているような未来はそう簡単には訪れてくれません
今回のお話はこれで終わりです
本来であれば、ユウスケさんのその後などもお伝えできればいいのですが、幸か不幸か私も知らないので、この記事はここで擱筆させていただきます(志賀直哉のパクリですが・・・)
最近、すごく小さい本屋さんがうちの近くにオープンしました。あまり人が入っていませんし、私も頻繁に行っているわけではないのですが心から応援しています。そして、今回のブログを書きながら、私自身もっとたくさんこの店で本を買おうと思いました
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