私が学生時代に働いていたアルバイトの店長が、毎年どこに行っていたかと言いますと、なんとインドだったのです
店長はドラえもんのたくさん入ったビニールの袋を嬉しそうに眺めながら、こう言われました
「毎年ね、インドに行って一か月くらいボランティアしているのよ。そもそも、この本屋さんで働き始めたのも、毎年一か月はインドに行くための休暇を特別にくれるからだったの。それがなかったら、こんなに続いてないよね」
「そこにはさ、両親がいないたくさんの子供たちがいてね、私がくるのを毎年楽しみにしてくれているんだ」
「こういうドラえもんみたいなのも、すごく喜んでくれるんだよね。その顔を見てたらね、なんか昔の日本人みたいに見えてきてさ」
「日本にはもうあの国みたいに、全身で泣いたり笑ったりする人はいなくなっちゃったなぁ」
私は、店長から時おり垣間見える孤独感の正体に少し近づけたような気がしました
考えてみれば、店長は感謝の意を表す時、両手を合わせて深々とお辞儀をすることがあったのですが、このインドが関係しているのだとこの時に分かりました
ちなみに、私は大学を卒業する直前に一か月ほどインドを旅しました。言うまでもなくこの店長の影響があります
ことあるごとに「インドに行かないと。インドには。特に若いうちに」と言われていました
(ただ、私の場合は、必ずしもインドに対する印象が店長のような礼賛でもなかったのですが、、、)
そして、私はインド旅行に行く直前にその書店を辞めて、普通の企業に就職しました。それ以来、店長には会っていません。私が辞めるとき、店長は深々とお辞儀をしてくださいました
その後、私は自分の生活に全く余裕がなくなり、その書店のことも店長のことも思い出さなくなり、新しい世界で奮闘していました
そして、それなりの月日が経ったある時、とあるSNSで、ふとその書店の名前を検索してみたのです
すると、ある記事にその店長のことを書いている人がいるではないですか
ですが、その記事は私にとってはショッキングなものでした。その方は書店で働いていた人で、店長のお葬式に出てきたという内容でした
そして、さらに数年してからその書店は経営が苦しくなって、どの店舗も閉鎖してしまいました。倒産してしまったのかもしれません
もう、店長との思い出は跡形もなくなってしまいました
その本屋はもうないですが、ビル自体は存在するので、近くに寄った時はたまに裏側の業務用のエレベータのところをのぞいたりします
インドの子供たちはもう大きくなっているでしょうが、急に店長が来なくなったことをどう思っているのでしょうか
きちんと彼の死が伝えられたのか、気になってしまいます
そして、何人かの子供たちは大きくなっていると思いますが、彼らの子供が何気なくそのドラえもんのおもちゃを握っていたりしたら素敵だなと思ったりします
地球の歩き方も電子版が出ております。紙の本の時は、不要になった都市のページをちぎって、これから行く別の旅人に上げたものです。そして、こちらも不要になったページをいただきました。電子化になったら荷物は軽くていいのですが、そういうことはできなくなりますね