職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

父のこと(その二)

 
 
前回からの続きです
 
 
久しぶりの家族旅行は、とりあえず車で近くの海に行き、新鮮な魚介類を食べて近くの観光地に寄って帰ることになりました
 
 
運転は姉がしてくれることになりました
 
 
かなり久しぶりの家族旅行でしたが、特に何か感慨に浸るわけでもなく、いつも実家で話している時のように普段通りに進んでいきます
 
 
ランチまで少し時間があったので、地元の博物館に寄って、近くにある明治期に建てられた古い家などを見学したりしました
 
 
これは完全に私の趣味でしたが、他の三人は特に反対もせずに、ややつまらなそうに付き合ってくれました
 
 
そして、いよいよメインのランチの場所へ向かおうとしたときに、車内でもあまり喋っていなかった父が突然口を開いたのです
 
 
「この辺り、なんか昔若い頃に仕事で来たことがあるな」
 
 
「へぇ。よく覚えてるね。何十年も前の話でしょ?」
 
 
「この辺りに、そば屋で、松竹庵(仮名)という店ないかな。ちょっと調べてくれないかな」
 
 
私はGoogleマップで検索してみました
 
 
すると、父が言うように、確かにこの近くに松竹庵というおそば屋さんがあったのです
 
 
私たちは、その辺に全く土地勘がありません
 
 
「近いけど、ちょっと寄ってみる?」
 
 
「頼むよ」
 
 
「で、その店は何か思い出でもあるの?」
 
 
「いや、そこでよく昼飯を食ってな。それで、そこのそば屋の娘と何回かデートしたんだ」
 
 
あまり父はそんなことを言う人ではなかったので、私は自分の耳を疑いました
 
 
しかも隣には母がいるので、そんなことを言って大丈夫かとも思いました
 
 
ですが、母はその話を知っていたようで、むしろ面白そうだからちょっと寄ってみようとまで言っています
 
 
そして、松竹庵が近づいてくると父は「やっぱり見覚えがあるぞ」と言いました
 
 
松竹庵の駐車場に車を止めて、私たちは全員降りました
 
 
「間違いない。道路から奥まっているし、ここだよ」
 
 
二階建てでかなり大きなおそば屋さんです
 
 
本来は魚介類を食べに来たのですが、せっかくだから、とりあえずおそばを少しだけ食べてみることにしました
 
 
父に、松竹庵の娘さんとのあらましを聞いてみると、こういうことだそうです
 
 
まだ社会人になりたての二十代前半の頃、父はこの辺りに頻繁に営業をかけていました
 
 
当時はあまり栄えた街ではありませんでしたが、土地の再開発によりいろいろと大きい案件があったようです
 
 
その時に、よくランチに訪れたのがこの松竹庵で、そこの娘さんと次第に仲良くなっていきました
 
 
そして、何度かデートすることになります
 
 
ですが、あるとき、松竹庵に電話をして、またデートに誘おうとしたら、その女性の父親らしき店主に強く断られて、二度と電話してきてくれるなと断られてしまいました
 
 
つまり、父は思いっきり振られたわけで、向こうからしたら父などほぼ覚えていないような、一介の人間に過ぎないわけです
 
 
ある意味では、しつこく追いまくられて断った男なのに、数十年経ってまた様子を見に来たという、我が親ながら異様な状況でした
 
 
ですが、父はそんなことは気にする様子もなく、懐かしそうに松竹庵に入っていきました
 
 
本日はここまでで、次回が最終回です
 
 
次回も、ドラスティックなことは何も起きません・・・
 
 

 

 

 

言わずと知れたニヒリストを世に広めた小説です。もしかしたら、教科書に出てきた本と覚えておられる方も多いかもしれません。それなりに太い本です。どの時代も父と息子の対立構造というのはあるようです。ちなみに私見ですが、ロシア文学の中で最も読みやすいのはツルゲーネフだと思っております

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