かつて栄華を誇った作家の方々が現代に現れたら同じ評価をされるのだろうか、というようなことを考えることがたまにあります
個人名を挙げることは避けますが、現代でも同じように評価してもらうことは難しいような気がします
とはいえ、その作家も現代に生きていたら、また違う発想をしているはずなので、私のこんな夢想にほとんど意味はありません
最近たまにマイケル・ジョーダンが現代のNBAで通用するのかという記事を見たのですが、それと似ているのかもしれません
サッカーもラグビーもそうですが、十年くらいでとてつもなく技術や戦術が進化しているようです
ですから、かつて栄華を誇ったプレーヤーが少し古く見えてしまうのはやむを得ないことでしょう
ただし、過去の名プレーヤーも現代の環境で練習などしたら、さらに進化するのでしょうから、あまりフェアな想定ではないと思われます
文学はスポーツと違いますから、同じように語るのは難しいかもしれませんが、少なくとも過去の作品の土台の上に誕生していますから、いくばくかの進化はしているような気はします
なぜ、そんなことを考えたかと言うと、丸山健二を読んだからです
もしも丸山健二という作家が初期の作品を引っさげて突如現代に現れても全く評価は変わらないだろう、という気がしました
彼の作品には静かですが強い磁力が潜んでいます
丸山健二の初期の短編はどれもきめが細かく格調高さが際立っています
しかも、これらは二十代前半の青年の手に書かれたものなのです
『夏の流れ 丸山健二初期作品集 (講談社文芸文庫)』の表題作は、死刑囚を監視する刑務官が主人公です
家族とのやりとり、死刑囚とのやりとり、それらがただそれがつづられているだけです
読み終えてぼんやりしていると何かが自分に刺さっていることに気付きます
思想的なことも道徳的なことも一切語られていません
それでも人生のはかなさのようなものを感じさせてくれるのは、主人公にまとわりついている諦観なのかもしれません
その他の作品のどれも悪くありません
同じ作者が書いたものだと一目で分かるほど雰囲気は似ていて、これが個性というものかもしれません
設定は全く違うにも関わらず・・・、文章とは不思議なものです
丸山健二の作品は、昔は幾つかの出版社から出ていましたが、現在読めるのは講談社文芸文庫くらいかもしれません
アンソロジーですが『戦後短篇小説再発見1 青春の光と影 (講談社文芸文庫)』にも丸山健二の作品がありました
こちらは若い女が都会から田舎に束の間の休暇として帰ってくる話です
この女性は実は都会で水商売をしているのですが、家族には言っていません
田舎の人たちも煌びやかになって帰ってきた彼女をちやほやします
彼女は家族にお金を与えて、家族は偉くなったと大喜びします
田舎に戻ってもすぐに飽きてしまい、都会に帰ろうとすると母が心配してついてきます
田舎でずっと暮らしている母よりもすでに自分の方が世の中の様々なことを知っているわけです
それでも母はバス停までついてくると言います
女はバスに乗って、母はそれを心配そうに見ます
そしてバスが発車した後、娘は窓から母へ金を投げ捨てるのです
人間の感情の急所というべきところを丸山健二は突いてきます
人によって好みは違うと思いますが、最近の長大で深淵な小説よりも、私はこの切れ味鋭い初期の作品に感情を揺さぶられます
最近はよく、イノベーションとか変革が手放しで喜ばれることも多いですが、変われば何でもいいというものでもないような気がします。彼がずっと初期のような作品を出し続けてくれたら、、、と思ってしまいますが、これは読者のエゴなのでしょう