職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

通勤ということ

 
 
私が元々作家を志したのは、文章を書くのが好きということが初めにありましたが、その他にも複合的な理由がありました
 
 
その中の一つが、どんな場所でも仕事ができるというところです
 
 
現代では、どんな場所でも仕事ができるようになったと言いますが、ご存じの通り前提があります
 
 
それはネットワークです
 
 
ネットワークがなければ、今言われている「どこでも仕事ができる職」というのは、難しくなってきます
 
 
ですが、作家というのはネットワーク以前からどこでも仕事ができました
 
 
私がポメラ固執しているのも、基本的にネットワークと連動しない孤立性に、ロマンを感じているということなのかもしれません
 
 
話は全然変わるのですが、私はサラリーマンですが、テレワークということで自宅で仕事をしています
 
 
自宅で仕事をするようになれば、かなり自由を享受できる生活になると思っていましたが、そろそろ二年半経って分かったきたのが、そうでもないということでした
 
 
私の会社はほとんどの人がテレワークなのですが、昼休みにも電話がかかってきたりチャットがきたりします
 
 
定時前も定時後も、連絡は普通にきます
 
 
その根底にあるのは、「どうせ家にいるんだから電話でもチャットでも反応できるし、たいした労力じゃないでしょ」というほぼ全員に見られる共通意識です
 
 
数年経ってようやく気付いたのですが、テレワークというのは思っていたよりも自由ではありませんでした
 
 
かつて通勤が当たり前の時も、定時後に電話をかけてくる人は希にいましたが、連絡がとれなくて当たり前ですし、彼らも少し申し訳なさそうでした
 
 
昼休みはみんなランチに行きますので、よほどの緊急事態でなければ、あまり電話はかかってきません
 
 
そして、家に着いたらなんだかほっとしたものです
 
 
ですが、テレワークとなっている今、私はずっとパソコンを点けっぱなしにして、朝も夜も定時外であろうとも、通りがかるたびにパソコンをちらちら見てますし、会社の携帯はトイレ休憩の時も、お昼を食べている時も、定時前も定時後も常に家の中で持ち歩いています
 
 
もちろん、そんな頻度でかかってくるわけでもありません
 
 
にもかかわらず、テレワークが定着すると持ち歩いてしまうのです
 
 
というのも、テレワークの期間が長ければ長くなるほど、「この時間に電話かかってきたことがあるから、もしかしたらくるかも」「この人、夜にミーティングしたがるから、定時後だけど招集がかかるかもしれない」「トイレに行った時に限って着信がある」などと、経験論が増えていき、結局どの時間も油断ならないという体験が増え続けてしまうからです
 
 
そういうこともあり、通勤から解放されて自由になった時間が増えているように見えるテレワークですが、自宅でも朝から晩まで精神的に拘束されるという逆説が生じてくるのです
 
 
もちろん、それでもテレワークにはたくさん良いところもあります
 
 
隙間時間に家の片付けができたり、掃除洗濯、食事の準備、横になって軽い昼寝なんかもできたりします
 
 
人生トータルとしてはかなり効率的ではあるものの、その間も電話やチャットによって囚われているような感覚は常に存在しています
 
 
テレワークは素晴らしいものではありますが、会社や周りの上司同僚の傾向によっては、なんだか息苦しいものになることもあるかもしれません
 
 
そう考えると、憧れていた作家生活というものも、本当に売れて編集者がつくと、どこでも仕事ができると言うものの、自由など全くないものなのかもしれません
 
 
かつては編集者のための別室を自宅に用意するという習慣もあったくらいですので、ほぼ監視体制が出来上がっているという意味で、売れっ子作家であればテレワークと同質の息苦しさがのではないかと想像してしまいました
 
 
そして、有名な作家ですら、外を歩く営業マンなんていうのを見ながら「ああ、彼らには外を歩く自由があっていいなぁ」と思っていたりするのかもしれません
 
 

 

 

今回の話と直接関係するわけではありませんが、この本が目につきました。未読です。特に定年にこだわらず、どれだけ定年が先にある年代の方でも、この本は参考になるかもしれません。定年のようにして、人生を過ごすというのは、余計な悩みを抱えずに生きることができるような気がするのです

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