職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ

 

 

外国文学が好きなこともあって、カズオ・イシグロについては、ノーベル賞をとるよりかなり早い段階からその存在を知っておりました

 

今はハヤカワepi文庫で当たり前のように出ていますが、『遠い山なみの光』からの一連の作品はかつて中公文庫から出ていました

 

ただ、もっとも最初に紹介したのはちくまだったようで、私より詳しい人はその頃から、すでにカズオ・イシグロのことを知っていたのだと思われます

 

今ではノーベル賞もとっていますし、カズオ・イシグロの偉大さを知らない人は少なくなっているはずですし、本当にすごい作品を次々世に出しておられます

 

ただ、私が最初に何の前情報もなく最初にカズオ・イシグロの作品を読んだ時、恥ずかしながら「端正で美しい文章を書くが物語は面白くない」というおそるべき評価をくだしていました

 

当時の私には彼のモチーフみたいなものがまだ見えてなかったのです

 

もしかして私と同じような感想を持ってしまった方がいらっしゃったら、ご紹介したかったのが、この『わたしたちが孤児だったころ』です

 

帯にも書かれているのですが、これは冒険です

 

彼にとっての重要なコンセプトを上手に冒険的なストーリーに乗せて、それらが融合していて、これまでカズオ・イシグロを断念していた方も、楽しく読めると思います

 

大まかな話の流れとしては下記のようなものです

 

・上海の租界に住んでいたイギリス人の少年はある日を境に両親と離されます


・その後、彼はイギリスで暮らすようになり、探偵として頭角をあらわしていきます

 

・そして、両親を取り戻すために上海へと戻ってきます

 

かなり単純化しておりますが、これだけでも十分冒険的要素を垣間見ることができるでしょう

 

カズオイシグロは幼い頃からイギリスに住んでいる日本人でブッカー賞も取っています


ですが日本語はほとんど話せないとのことです(確か幼い頃は長崎に住んで、父の都合ですぐにイギリスに引っ越した気がします)


そういう生い立ちがあってか、彼の小説には日本人がよく登場します


そして、この作家は”記憶”ということに重点を置いています


幼い頃に自分が過ごした、おぼろげな日本の記憶ともリンクしているのかもしれません


我が国という確固たるアイデンティティのない人は、別の何かに依存するといいます


カズオイシグロの場合は記憶だったのかもしれません

 

わたしたちが孤児だったころ』にも存分に記憶という形でエピソードが綴られます


記憶にもかかわらず、あまりに鮮明過ぎるところは少し妙だなと思うこともあるのですが、「自分の記憶はもしかしたら誤った記憶なのかもしれない」ということに主人公は自覚的なので、読者を白けさせることはありません

 

読まないで人生を終えるのはもったいない作家が何人かいますが、まさしくカズオイシグロというのはそういう作家だと思います

 

まずは本書からはじめて、その後は自分の好みに合うものを手にしてみてください

 

彼の場合、寡作ではありますが、どの作品も重厚で、例外なく大作です

 

 

長編で有名なカズオイシグロですが、唯一?の短編である『夜想曲集 (ハヤカワepi文庫)』はかなりのレベルです。大好きな短編集の一つです。それにしても、長編も短篇も上手に書ける作家というのは、、、。はぁ、憧れます

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