長くなっておりますが、いよいよ最終回です。気になったところをピックアップしております
このブログでこの仕事を採用しないわけにはいきません
こちらの記憶は確かなのですが、私は幼少の頃に関西の親戚のところへ行った時、一度だけ利用したことがあります
京都でした
一見すると普通の古書店に見えるのですが、返さなくてはいけないと聞いて驚きました
でも、かなり格安だったので、自分の家の近くにもこういう店があるといいなと思いました
ですが、その一回以降、二度と見ることはありませんでした
日本は銃がなくていい社会だと言われます
私もそう思います
一般市民が銃を持っていると聞いただけで、アメリカなど行きたくないと感じてしまいます
日本って平和でいいなぁと思っていましたが、戦前は普通にピストルが販売されていたことをご存じでしたでしょうか
日本にとって敗戦というのは大きな傷だったかもしれませんが、戦勝国でしたら銃のある社会になっていたのかもしれません
一言で言うと、銭湯で背中を流す職業です
そんなシンプルな職業があったのが昔の日本です
誰でもできそうですが、当時はすぐになれるものではなく、銭湯の下働き(釜炊き、薪割りなど)をしてからようやくなれるものだったようです
ちなみに2009年の新聞に、荒川区に71歳の方で最後の三助がいるという記事があったそうです
なので、現代ではもう三助という職業の方はいらっしゃらないかもしれません
一度はお会いしてみたかったものです
この言葉は昭和の初期にありました
散歩などで男性に付き添ってあるく女性、というのがステッキガールです
ただし、性的な関係を持つものとは一線を画しています
性的な関係が付随するとそれはストリートガールという呼称になるようです
ステッキガールは例えば、銀座の道案内をしたり一緒に食事をするものですが、何かを思い出しませんでしょうか
そうです。現代に復活しています
レンタル彼女というものです
失われゆくものもあれば、復活するものもある
時代は変わっても、人間が人間に求めるというものは、もしかしたらあまり変わらないかもしれません
東京が都市化すると田畑がなくなります
そうなると野菜が不足するので近隣であった千葉県から、野菜を売りに来る人が出てくる。そういった職業です
もともとは関東大震災によって活発になったお仕事とのことです
驚くべきことに、彼女たちは50キロー100キロほどの野菜を背負って、朝五時の電車に乗って東京方面へ向かいました
駅前やビルや路上で、野菜や米などを売りさばきます
売れなかった場合はお得意様の家をまわります
彼女たちのための専用電車や車両もあったらしいのですが、なんと2014年までは現存していたそうです
一度見てみたかった・・・
全盛期には、彼女たちのにぎやかな会話が車中に響いていたそうです
ちなみに、私はかつてタイを旅行した時に、そういう光景を目にしたことがあります
異国でしたが、既視感のようでもありました
ネット注文が全盛の現代でもう復活することはない光景でしょう
さて、三回にわたって紹介させていただきましたが、いかがでしたでしょうか
こういったかつての職業というのは、執筆する人間としては、とてつもなくインスピレーションを感じるものです。私は書店でこのような類いの本を見ると必ず買ってしまいます
ただ、こういう本を読むのは創作のためだけではないのも事実です。純粋に面白いのです
だから、私はこの本を買った日に、頭から最後までずっと読みふけってしまいました。そして、読後は何かの物語を読み終わったような充実感がありました
おじいちゃんとかおばあちゃんが自分の人生を語ってくれて、それを通して昔の日本の様子が聞けたような気すらしてくるのです