職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

『蟻の独り言』非売品、あれから十数年後(前編)

 

 

もうずいぶん前、私の学生時代になるのですが、私は寝袋を持って日本を旅していました

 

 

人生最初の旅は四万十川でした。十数年以上前の話です

 

 

四万十川を上流から海まで歩くという旅をしました

 

 

飛行機と特急を乗り継いで、四万十川についた時はすでに真っ暗で、電灯もなくて、おそろしい気分のまま、見知らぬ施設の空き地で、寝袋で一夜を過ごしました

 

 

一か月くらい行く予定でしたが、あまりに過酷だったので、二週間で帰ってしまいました

 

 

そして、懲りずに次の旅も、違う川をくだるという旅をすることにしました

 

 

今回は、その時の話をさせていただきますので、お付き合いいただければありがたいです

 

 

その旅は寝袋を持って、山形から酒田へ最上川を踏破するというものでした

 

 

最上川はくねくね蛇行しているので、簡単に見積もっても200キロ以上で十日はかかる道のりでした

 

 

そういう旅は、今となってはあまり意味を見いだせなくなってしまい、できなくなっています

 

 

ですが、当時は若いですから何からでも何かを得ることができると信じていました(本当にそうなのかもしれませんが、今は気力がなく、、、)

 

 

その旅は四万十川の時と同じで、予想していた通りにタフなものになりました

 

 

金銭的に厳しい学生だったので、ご飯にお金をかけるわけにもいきませんし、ホテルにも泊まれませんでした

 

 

にもかかわらず、歩いている時は幸福感がありました

 

 

最上川はまさに美しい国日本、という景色を映してくれます

 

 

その時は夏だったので、時おり吹く風が冷たかったのを覚えています

 

 

最上川の旅では多くの人が僕を助けてくれました

 

 

例えば、車で僕の横を通り過ぎる人は、車をわざわざ止めて声をかけてくれました

 

 

「乗って行っていいよ」と

 

 

ですが、そのご厚意を私は無礼にも断っていました

 

 

歩いて最上川を踏破すると決めていたので・・・

 

 

とはいえ、十数年経っても彼らの親切を忘れていません

 

 

親切にしてくれた人はたくさんいるのですが、その中でも、Tさんは私にとって特別な存在になりました

 

 

Tさんに出会う前日あたりでは、旅も中盤に差し掛かろうとしていて、疲労はひどく溜まっていました

 

 

その日、私は山形県さくらんぼで有名な東根のとある公園で眠ることにしました

 

 

その翌朝のことをよく覚えています

 

 

毎日歩いていて足も痛く、もう歩きたくもないといううんざりした気持ちでした

 

 

ですが、このまま帰るわけにもいかず、先に進むしかない。寝起きにもかかわらず、すでに疲労困憊の状態で、公園の水道で歯を磨いていました

 

 

すると、あるお年寄りの男性がじっと私を見ています。ですが、何も言わず通り過ぎていきました

 

 

私は、まずいと思いました。公園で寝泊まりしている怪しい男がいる、と通報されるかもしれないからです

 

 

歯を磨き終わってから、寝袋なりを片付けてすぐに出発することにしました

 

 

そして、ようやく準備ができたと思ったら、さきほどのお年寄りが公園に再び戻ってくるのです

 

 

私がちょうど歩き始めようとしていた時でした

 

 

そして、彼は私に話しかけてきたのです

 

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かつて野宿した山形市内の野球場

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あの頃は、こんな道をひたすらずっと歩いていました

 

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