最初に読んだ文学の記憶を皆さんはお持ちでしょうか
私の場合は両親の本棚にあった武者小路実篤の『棘まで美し』でした
中学生の時に何か両親に怒られて、嫌になって自室にこもった時にあまりに暇だから、隣の納戸にあった両親の書庫から適当に本を引っ張りだすことにしました
たまたま手に取って意外と面白く感じたのが、この『棘まで美し』でした
これが私の文学を読み始めたきっかけです
それ以来、両親の本棚から適当に文学らしきものを抜き出して読むようになりました
そして、本当の意味で最初に衝撃を受けたのは谷崎純一郎の『痴人の愛』だったかもしれません
当時の私は高校生でしたが、このナオミという人は女性の特徴的な性質を内包していると感じました
ナオミという女性はあらゆる意味で女性的な魅力をまき散らして、あらゆる意味で譲治を翻弄します
譲治も自分が愚かと知りつつも、ナオミに抗しがたい魅力を感じて、常に屈服してしまいます
『痴人の愛』について何か述べようとすると、「女の人って、、、」という切り口で何かを語ろうとしてしまいます
そういった表現はフェミニズム的に許容されないだろうと今は分かるのですが、当時はそんなこと気にもしていませんでした
未だにその点を私が克服していないかもしれないですが、誤解をおそれず素直な感想を書いてみたいと思います
おそらくナオミと譲治の関係は、世の男女関係の一部を拡大して提示しています
この本の最もすごいところは、男性に共感を呼び起こし、女性に反発をもたらすところかもしれません
これはあくまで私の勝手な推測に過ぎませんが、小さな裏付けはあるのです
高校だった私は、『痴人の愛』に興奮して、知人の男二人と女二人に読んでもらうことにしました
男性は二人とも譲治の心理をよく理解できたと言い、女性は二人ともナオミに不快感を覚えていました
もちろん、全ての人がそうなると言うつもりはございません
ですが、この現象は私にとって興味深いものがありました
実はこの男女はそれぞれのペアで交際していたのですが、男性たちは譲治と自分の類似性に気が付いていて、女性たちはナオミと自分の類似性に気が付いていなかったのです
彼女たちはナオミを最低と言っていましたが、彼女たちはどこかでナオミに似た部分はあるにもかかわらず、完全にその視点を失っていました
当時、高校生で未熟だった私は、やはり男性の方が視野は広くて、洞察力が深いのだと思ってしまったわけです
そうやって、自分の分析の鋭さを感じながら酔いしれていたわけです
・・・、とここまでは高校生ならよくある勘違いかもしれません。ですが、それはすぐに正されました
その後、私は大学生になり、当時交際していた女性にこの話をしてみたところ、彼女はこう言いました
「その女の子たちはナオミと自分の類似性に気付いていたかもしれないよ」
「そんな感じじゃなかったけど」
「気付いていても、あなたにそんなこと言えるわけないじゃない」
なるほど。やはり私はずっと譲治で、女性は常にナオミなのか・・・。そして私はまた少しお利巧になったのであります