夏休みがどれほど退屈で全く楽しくないとしても、それが明けてしまって学校なり会社へ行く当日の朝は、ひどく憂鬱な気持ちになってしまうものです
でも、それはなぜなのでしょうか
例えば、夏休みがあまり好きではない子供がいるとしましょう(やや考えにくいですが、たまにいるようです)
なぜあまり好きではないかと言えば、たくさん宿題が出て夏期講習もあって友達と遊べなくなり、うんざりしながら過ごしているからです
そういう子がいたとして、彼ら彼女らは夏休み明けの初日、嬉々として通学するのでしょうか
まだ暑くて、むわっとする朝に、ランドセルや手提げの鞄に夏休みの宿題をぱんぱんに入れて、学校に向かいます
途中で級友の何人かに遭遇するわけですが、積極的に話しかけることもあれば、気付かなかったふりをして、通り過ぎようとする人もいるでしょう
学校が近づいていくうちに、「ああ、いよいよまた始まるんだな、宿題とかやってないところとか、持ってき忘れたとかないよな・・・」などと考えながら、校門をくぐります
そして下駄箱に到達すると、久しぶりに嗅ぐ、長年蓄積されている学校の奇妙なにおいが鼻を刺激してきます
「あれ、上履き忘れてないよな、」と手提げ袋を見て、その存在を確認して、ほっと一息つきます
階段を上がっている時に友達が後ろから、ドンと押してきます
振り返ると、同じクラスのいたずらっ子がいて、しぶしぶその子と一緒に教室へ入ります
ばらばらと、久しぶりの顔ぶれがいる中をかきわけて、自分の席に座ると、あまり好きではない同級生の姿が目に付きます
先生が入ってきて、いよいよ始まったのだと覚悟を決めます
そして、退屈だったけれども、家にいる夏休みの方がましだったのだなぁ、とその時改めて気付くことになります
などという空想をしてみました
一方でサラリーマンやOLはどうでしょう
朝早くに自宅を出ます
家のドアから出る時点で、(本当はもっと前から)すでにうんざりしています
駅に向かって歩きながら、ビジネスバッグの重さを感じます
そういえば、午前中から嫌な会議があることを思い出します
本来であれば、いきなり会議など入れたくなかったのですが、そんなことを選択する権利はありませんでした
その日の状況によっては初日からとてつもない残業になるかもしれないと思うと、ただただ恐怖です
夏休み中で学生がいない分、電車はすいていますが、また数週間もするとわんさか戻ってきます
電車は冷房が効いているので、入って最初は涼しいですが、しばらく乗っていると、その涼しさの恩恵をすぐに忘れてしまいます
隣に咳をしている中年男性がいるので、少しずつ離れていき、停車駅のタイミングで違うドアへと移動することにしました
ようやく目的の駅に到着してドアが開き、ホームに降り立ちます
人の流れに逆らわずに歩きます
周りにいた人たちはそれぞれのビルに吸い込まれていき、自分も会社の自動ドアをくぐります
エレベーターに乗りながら、夏休みにどこに行ったか聞かれそうなので、頭の中でそのあたりの準備はしておきます
エレベーターを出てから、次の扉に社員証を当てると、そこはもうオフィスが待っています
「おはようございます」
決して大きな声でもなく元気でもなく、かといって小さすぎるわけでもなく、絶妙な音量で喉からひねり出します
「おはようございます」
相手も返してくれますが、みんな一瞥だけして、すぐにパソコンに目をやって仕事を始めています
自分の椅子に座り、パソコンを取り出して、画面が起動している間に、本当に夏休みが終わってしまったことを実感します
外を見ると空が青く、ドライブが気持ちよさそうです
何も、出社初日にこんな見事に晴れなくても、、、と思ってしまいます
サラリーマンとOLには、こんなイメージが浮かんでしまいました
おそらく、いくばくかの場面に既視感をお持ちになったのではないでしょうか
全く違うシチュエーションですが、学生も社会人も、かなり似通った心境に違いありません
そして、この初日のしんどさが大きければ大きいほど、普段の日常生活が非常にタフということになるのでしょう
この初日のつらさを一つの物差しとして、どれだけ日常生活にご自身が不満を持っているか、計ってみてもいいかもしれません
YouTuberなどに紹介されて、かなり有名な本とのことです。私は未読ですが、タイトルだけでも共感することができます。お金を使わずに楽しく生きるって、どこまでも可能なんですよね。図書館があるし、Amazon primeでしたら安くで映画をたくさん見ることができます。食費にしても、夕方にスーパーへ行って割引されたものを自宅で冷凍すれば、かなり安くすみます。仕事で苦しんで追い詰められて、人生が灰色になるくらいであれば、辞めればいいのです。お金を使わない楽しさというのは間違いなくありますので!