職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

写真を撮る人

 


普段、見知った街を散歩していても何か大きな発見があるわけではありません

 


何かを考えているような、何も考えていないような、自分でもよく分からない感覚で散歩をしています

 


たまに、昔この場所はこんなビルなんか建ってなくて田んぼだらけだったんだろうなぁとか、そんなことを空想することはあります

 


もし、タイムスリップして、百年くらい前の景色を散歩できたら楽しいのにと思ったりします

 


ですが、よくよく考えてみれば、百年後の人からしたら、私は今百年前の風景を散歩しているわけです

 


だから、そういう気分で、つまり未来からタイムスリップしてきた人の気持ちで歩いてみようと思うのですが、そういう空想に浸ってみたところで、簡単に入り込めるわけではありません

 


百年後の風景を知っているわけではないので、今広がる景色に目新しさなどないわけです

 


いつも見ている景色に、現代の人たちが歩いているようにしか見えず、何も変わりません

 


たまにスマホで写真でも撮ろうかなと思うこともありますが、なんだか面倒くさくなってやめてしまいます

 


というのも、その景色はいつも見ていますし、別にたいしたものではないからです

 


ですが、よくよく考えてみれば、十年前から比べるとずいぶんと風景というのは変わっています

 


古い家屋がなくなって、なんだかアパートみたいなのが激増しているように思います

 


マンションのようなものもずいぶん建ちました

 


十年前に見た風景は、もうすでに二度と見られなくなっています

 


あのとき、写真を撮っておけばよかったかなと後年思うことはよくあります

 


ですが、今日この日のこの時の風景というものに価値を見いだすことは難しく、何となくしょうもない写真になるかなと思って、黙って素通りしてしまいます

 


そして、話は全然変わるのですが、昔、会社によく写真をとるおじさんがいました

 


その方は、社内で何かイベントがあるとすぐに写真をとるのです

 


そして、マメにみんなにネット経由で配布していました

 


その時の私は、その人のことをなんだかうさんくさい人だなと思って、あまり好きにはなれませんでした

 


別に、明日だって明後日だって、嫌でも毎日顔を合わせるのに、このおじさんは何やってんだろう、と理解できませんでした

 


しかも、そのおじさんは派遣として会社にやってきた人だったので、なおさら自社でもない人たちの写真を撮る行為が謎でした

 


そしてある日、その方の派遣契約が終了することになりました

 


その人だけというわけではなく、会社の景気が悪くなって、その部署の派遣の方はほとんど切られることになりました

 


そのおじさんは最後の挨拶の時にこう言いました

 


「今までありがとうございました。なんか、いつも写真を撮っていて、変なおじさんだな、と思っていた方も多いと思います」

 


なんだか、私のことを言われたような気がしました


「私も若いときは写真なんかぜんぜん撮りませんでしたし、なんの興味もありませんでした。そして、そのまま年をとって、自分の人生を少し振り返ってみた時に、ある時期の写真が全くないことに気付いたんです」

 


その最後のスピーチを聞いていたのは40人くらいだったと思います

 


広い会議室でした

 


「幼い頃の写真は親が撮ってるし、学生時代の写真は学校が撮ってくれている。でも、社会人になったときの自分の写真は本当にただの一枚もなかったんです。その時の僕は痩せてたし、それなりにがんばっていたし、仲間もたくさんいました。でも、思い出そうにも、当時はネットもなかったし、写真もないので、うまく思い出せません。その時に初めて、あんなに一生懸命働いて、周りにたくさん人もいたのに、なんで写真の一枚も撮らなかったんだろうと後悔したんです」

 


何だか、この方の挨拶だけ他の方と違っていました

 


「だから、私は写真を撮ることにしました。みなさんが私と同じくらいの年になったときに、必ず見返したくなる日がくるはずです。その時に、私の写真がお役に立てればなと思います」

 


そして、彼は壇上から降りて、次の人がスピーチをはじめました

 


彼は自分のために写真を撮っていたわけではありませんでした

 


私たちのために撮っていたのです

 


確かに、彼の写真を見ていると、なんだかみんないい顔をしているものが多かったです

 


きっと彼はそうなるよう意識して撮って、たくさんの枚数から取捨選択をして、みんなに配布していたのでしょう

 


他の人に見せることを意識していたという意味で、彼の写真は芸術作品といっても差し支えないのかもしれません

 


そして後年、彼の予言通り、私はその写真をたまに見ることがあります

 


それとともに、いくつかの記憶も呼び覚まされます

 


本当は私も彼のメッセージを受け止めて、若い人たちの写真を撮って、配布してあげた方がいいのだろうなぁと思います

 


ですが、なんだか気恥ずかしくて、彼のように勇気が出ません

 


冒頭、申し上げたように私という人間は、散歩している道ですら億劫がって撮ろうとしないのです

 


いきなり人を撮るのは難しいかもしれませんが、景色くらいは撮っておこうかなと思います

 


さらにまた十年経ったら、ぜんぜん違う景色になると分かっているに違いないので

 

 

 

 

話はぜんぜん違うのですが、GoProいいですよね。少し私には高すぎるので、手持ちのiPhoneで対応したいと思います

 

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