職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

早すぎる桜満開と資本主義の功罪

 
 
3月下旬、久しぶりに東京都中心部に行ってきました
 
年初から毎日テレワークをしていましたが、今年初めて仕事での外出となりました
 
緊急事態宣言が解除されたからではなく、会社関係の用事があったためです
 
桜がきれいに咲いていました
 
どうも例年よりもかなり早い満開のようですし、確かにそんな感じがします
 
実際の光景を自分の目で見ると、本当に地球がおかしくなってきているのを身近に感じます
 
かつて、数十年前までは、30度で真夏日でしたし、スコールのような雨はありませんでした
 
今では夏は40度近くなりますし、東南アジアのようなスコールが日本でも頻発します
 
考えてみれば、気候が大きく変わることを望んでいる人たちはあまりいないと思います
 
人間が生きていけないような暑さや、人が亡くなってしまうような大雨の未来は、防がなければなりません。あとは海面の上昇もですね
 
だから私たちは最近、ビニール袋ももらわずマイバッグを持ち歩くようになりましたし、ストローもなるべく控えようとしています
 
そしてゴミはきちんと分別していますし、マイボトルを持ち歩く人もいます
 
高くてもエコカーにしている方もいらっしゃるかもしれません
 
自分で出来ることはやっているのに、どうしてこんなに気候がおかしくなってしまうのだろう、、、と思ってしまいます
 
諸説あるとは思いますが、どうやらこれは資本主義がいきすぎた結果のようです
 
例えば、アボカドは一個百円くらいで売られていますが、これは土地から養分をとてつもなく吸い取ってしまい、その土地は当分使い物にならないようになるらしいです
 
これは『人新世の「資本論」 (集英社新書)から得た知識で、本日の私の内容はこの本に多分に影響されております
 
コーヒーなんかもかなり土地を痛めるようですし、牛のげっぷやおならのメタンが地球を温暖化しているという話も有名です
 
そうやって、我々がスーパーやお店、ネットで見ている潤沢すぎる食物や製品が、地球を損傷しているということになるようです
 
資本主義が進めば進むほどテクノロジーも進化するから、環境の破壊もその技術で何とか食い止めることができると想定されていたようですが、近年の気象を見るとその予想が完全に外れていたことがわかります
 
ちなみに私が東京を歩いたのは三月下旬のことですが、午後は気が滅入るほどの暑さでした
 
天気も良く、桜も満開で、久しぶりの外の空気に心は弾むはずでしたが、なぜか心は晴れません
 
(ちなみにその日の仕事もとりあえずうまくいったので、それが原因でもありません)
 
よく「一度あげた生活レベルを下げることはできない」と言いますが、私はそんなことはないと思っています
 
テレワークをしていると、ほとんどお金を使いません。生活が変わればお金なんて本当にわずかで事足ります
 
そして、私はもうこれ以上豊かになりたいとは思いません
 
これより生活の質が上がったとしても、それほどありがたいとは思いません
 
この感覚は私だけではないのではないでしょうか
 
別の問題として食べるのに困るほどの貧困に苦しんでいる人もいる、ということはわかりますが、文明のレベルとしてもう十分すぎる気がします
 
資本主義社会というのは、平等に見えて不平等な部分もあります
 
アマゾンのトップと、アマゾンの倉庫で必死に働く人の年収差はいかほどでしょうか
 
おそらく、倉庫の人が百年働いたとしても、ジェフ・べゾスの一年分に満たないでしょう
 
なぜそこまでの年収差がつかなくてはならないのか。合理的な説明はおそらく誰もできないはずです
 
いくら創業者とはいえ、私の感覚では、労働者とのこの差は著しく不当だと感じます
 
東京を歩いているとそんなことを考えてしまいました
 
とてつもなく高いビルがいくつも建っていますし、高級なランチを食べている人はたくさんいます
 
そして三月なのにこの暑さ。。。
 
そういった入り混じった感情の中、私はうんざりした気持ちになって帰りの電車に乗りました
 
(それはその後の仕事が嫌だったからというのもあるかもしれません・・・)
 

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都会には都会の美しさがあるので、たまには大都会を歩くのも悪くはないのですが・・・
 
 
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