職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

自分の才能の限界について(その4)

 

 

いよいよこのシリーズも最終回です

 

いつも同じような作品になってしまう場合、どのようにしたら自分のパターンを脱却できるかという話です

 

方法はいくつかあると思います

 

[人物]

まず、自分がよく好んで作ってしまう人物像があるわけですが、それを強く自覚して、なるべくそこから離れた人物を設定します。それはメインであれサブであれ、全ての人物を自分好みのパターンから遠ざけます

 

[舞台]

自分が知っている舞台をなるべく避けます。学校、オフィス内、公園、商業施設などなど。普段では考えもしなかったような舞台を考えます。例えば高層ビルの清掃現場、ローカル線の車掌室、バンガローの中、などなど。これらは一例ですが、メジャーでない舞台、かつ大雑把ではなく細かく舞台を設定します。そうなると、色々とその場所について調べなければならなくなります。付随情報などを浴びていくうちに、物語に膨らみが出てきたりもします

 

[プロット]

昨今では物語は限りなくたくさんあるので、どんな結末であれ全てが予定調和です。ハッピーエンドもそうですし、バッドエンドもそうですし、何も起きないも然りです。現代の読者は皆さん賢いですから、どんなパターンにしたとしても、物語は予定調和と感じられてしまいます。なので、筋だけで勝負しようとすると、どうしても既存の何らかの作品の域を出ないでしょう。これは致し方のないところです。なので、物語の筋書きというよりは、構造に注目したいところです。例えば、韻をふんでいる構造だったり、多重的だったり、対称的であったり、なかなか言葉でいうのは難しいですね。私もうまいことできているわけではありません。とにかく大きな観点で構造を考えて、単純ではない構造へと物語を変化させていくということになります

 

[その他]

大したことではないかもしれませんが、これまでの自分を越えようと思うと細部にも着目せざるをえません。例えば、漢字の使い方、句点、句読点、改行のタイミング、段落をつけるか付けないか。前に私は自作を他人に読んでもらった時に「文字でびっしり埋まってるね」と言われました。これは褒め言葉ではないように思いました。かといって、安易に改行ばかりするわけにもいかないし、ひらがなを多用するわけにもいかないし、難しいところです。作風に合わせて、少し漢字を減らしたり、改行を増やしたり、と試してみるのもいいかもしれません

 

と、ここまで書いてきましたが、最初に書き始めたところから、かなり遠いところまで来てしまいました

 

 要するに何が言いたかったの?と聞かれると困りますし、自分でも何が言いたいかよく分かりませんが、こういうことかもしれません

 

どうやら私は才能というものを信じたくないようです

 

ストレスという言葉には実体がなく、この言葉が誕生するまでは誰もストレスを感じていなかったと言います

 

私は才能についても同じことを思います

 

本当にそんなものが存在するのだろうか、と

 

才能を考える前に、自分の現在の状況を正しく理解して、その限界をいかに超えていくかを考えるかが重要です。そして、地獄のような苦しみを覚えつつも、それを幾度も超えていくことのできる人ならば、もしかしたら「才能がある」と言えるのかもしれません

 

(やはりまた最後にカッコつけてしまいました・・・)

 

長くなってしまったにもかかわらず最後までお読みいただき、ありがとうございました

 

 

この著作はたくさんのことを考えさせられます。小説そのもののこと、芥川のこと、谷崎のこと。文学の可能性のこと。タイトルはニーチェの『人間的な、あまりに人間的な』から拝借したのでしょうか。何をしても芥川はかっこいいです

 

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