職業作家への道

自分の文章で生活できるなんて素敵。普通の会社員が全力で小説家を目指します

自分の才能の限界について(その3)

 

 

今回で第三回目です 

 

あまりまとまっていない流れということは自覚していつつも、続けさせていただきます

 

次に考えたいのは、自分の限界の認知ということです

 

自分の才能があるかないかは別にして、もっといい作品を書きたい私たちが、次の高みを目指すにはどうしたらいいでしょうか

 

皆さんはある作家の本を読んでいって、こう感じたことはないでしょうか

 

「この人の書く本って全部同じだな・・・」と

 

そして、こんなことも思いませんでしょうか「毎回同じ話だし、同じ登場人物なのに、この人の本はいつも売れてるな・・・」と

 

そして、ご自身でいくつも作品を仕上げている方はこうも思うのではないでしょうか

 

「あれ、自分の作品って、どれも結局はなんか構造も結末も似ちゃってるな・・・」

 

こういう気付きも、自分の才能の限界に関係してくると思います

 

そして、これは私のケースになるのですが、たくさん書いているとそういう自分が書きたがるパターンに気付くことになります

 

同じパターンのものを書いて落ち続けていたら、このまま送り続けても受賞する可能性は極めて低いと思います

 

なので、自分のパターンに気付くことができたら、そこから意図的に逸脱しなければなりません

 

にもかかわらず、私はそこまで自覚的になっていても、また同じような作品が出来上がってしまう、、、そういう時に私は自分の才能の限界を感じました

 

逸脱しようとしていたのに、結局自分好みの作品になってしまう、、、それに気付いた時は自分でも絶望的な気持ちになりました

 

 ちなみに、とある一人の作家の一連の著作を読んでいると気づくことがあります

 

この人はずっと男性の主人公だったのに今作では登場人物を女性に変えて、今までとは違う作風にしようとしたんだろうな、ですとか。設定を外国にすることで異国情緒を出して、雰囲気を変えたかったんだろうな、ですとか。ずっと一人称だったのを三人称にしたことで異なったイメージを出したかったんだろうな、などなど

 

読者としての皆さんもご経験があると思います。やっぱりXXは何を書いてもXXっぽくなるんだよなぁ、と

 

これは新しいものを常に求めている方にとっては不満なのかもしれませんが、固定ファンからしたら「待ってました」ということになります

 

ただし、これはプロだから許されることで、私のようなまだ世に出ていない人間が、同じような作品を量産することに何の意味もありません

 

何かを変えなくては最終候補を突破できないのは自明です

 

自分の限界に気付き、そこを突破することを、今の私はしなくてはならない

 

と言いつつも、自分の限界を超えることができていない。正直に申し上げると、私は今自分がそういう状況だと認識しています

 

では、今後どうしていけばいいのでしょうか

 

次回でこのシリーズは最後です

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

三島由紀夫の著作はたくさん読んだような気がします。素人のようですが(いや、本当に素人ですが)最も気に入っているのはこの『金閣寺』です。この作家のおそるべき力が、この作品では嫌味なく自然な形で存分に発揮されています。これほどの本を読んでしまうと、筆を置きたくもなります

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