この五賞(新潮、群像、文學界、文藝、すばる)の応募者数はWikipediaでもご覧になれるので、ここでは端折りますが、相当な数の応募者になります
それを見ていると、どの賞が狙い目ともなかなか言い難いのが現実です
それぞれの賞の特徴ですが、一見あるように見えますし、実際にあるのかもしれませんが、私は文学の新人賞において、賞別の傾向と対策は無意味だと思っています
審査員もころころ変わりますし、毎年同じような作品を受賞させるのは、画一化を防ぐためにも、出版社は避けたいに違いありません
そもそも、歴代の受賞作品を読み比べてみれば分かりますが、はっきり言って全然違う作風のものだと思いませんでしょうか
どの作家も傾向なんてものはありません。あくまで独特だからこそ受賞できたと言ってもいいでしょう
対策を練るくらいであれば、自分の奇異な部分を肥大化させる作業をしていった方が、受賞にはつながると思います
実際、私はその昔、実験的に試してみたことがあります
それなりにいい選考結果になったものを全く書き直しせずに他賞に応募したのです。一方で一次も通らなかったものを直さずに、違う賞へ応募してみました
それぞれ前回とは違う結果になりました
つまり、ある賞では落選したものがある賞ではいいところまでいきましたし、ある賞でいいところまでいったものがある賞では一次も通過しませんでした
これは出版社が認めたくない事実かもしれません
ただし、昨今の応募要項は上記のような二重投稿を強く禁止していますので、控えていただく必要があります
私が試したのは、まだ二重投稿の禁止事項が応募要項に明記されていなかった時代の話です。今ではルールが変わったので、そういうことはしていません
ちなみに『アサッテの人』は群像をとって芥川賞を取り、それなりにセンセーショナルな出来事でしたが、実はこの作品は10年前に全く同じものを群像に出して、一次予選にも通過しなかったと、どこかで読んだことがあります
しかも、一字一句も変えずに再送しているということでした。確か著者である諏訪哲史さん自らが告白していたと記憶します
この逸話は、出版社からしたら困るかもしれませんが、私たちとしては勇気をもらえる逸話です
落選したら誰しもが落ち込むものですが、正しく認められないことはあるものです。それは下読みの方々を恨むのではなく、そもそも正しい批評だとか審査などは存在しないと認めた上で、落選したことを認識するということです
いずれにしても、今回は評価をもらえなかったのだときちんと理解する必要があります。(泣きたいほど悔しい気持ちで、認めたくないのは私もすごく強くわかるのですが)
そして次回作を粛々と書いていくしかありません。そして二重投稿は禁止されているので、全く同じものの再送はまずいのですが、やはりもう一度トライしたいという作品であれば、いくつかの手直しをしてまた数年後に出すくらいは良いのではないでしょうか(個人的な意見であり、批判される可能性はあるのでご注意ください)
とにかく未来に目を向けることだと思います。では、引き続き、執筆をがんばっていきましょう。
この本、読まれましたでしょうか。なかなか理解できない受賞作が多い中で、私は衝撃を受けて印象に残っている一冊です
この本もいつか買いたいです