その前に、競合する他の作品がどのようなものかを想像してみるのは一つの方法だと思います
推理小説の賞などでは、学校ものはご法度だと聞いたことがあります
なぜならば、その場所はほとんどの人が体験したことがある場所で、まず設定としてのインパクトが欠けるから、既視感があるためかなりの確率で落選するそうです
もちろん、それはエンターテイメントの世界の話なので、文学賞ですぐに当てはまるものではありません
では、文学賞ではどういうものが応募されているのかを勝手ながら想像してみます
何の変哲もない自分が違和感を持って生きている
奇妙な知人がいる
ある出来事があり、世の中にはっとする
このあたりは王道のような気がします。もしかしたら過去の有名な文学賞からも似たような受賞作があるのかもしれません
なので、骨子としては問題ない可能性はあります
もしこの骨子で受賞している場合、その作品はこの骨子以外で度肝を抜く設定だったりしていませんでしょうか、ということです
例えば、『蛇にピアス』という作品がありましたが、あれもスプリットタンと言ったり、タトゥーの話があったりと極めて身体的なインパクトがありました
何が理由で受賞したか理由を挙げていくというのは、なかなか難しい作業ですが、少なくとも、この作品は読者に身体的な痛みを感じさせて爪痕を残す、という意味では成功したと言えるでしょう
もちろん、インパクトを出す方法としては身体的なものだけではありません。設定を奇抜にしたり、知り合いを奇抜にしたり、知人が特殊能力を持っていたり、おぞましい事件が起きたりと、多種にわたります
ちなみに私が度肝を抜かれた設定は下記の『オブ・ザ・ベースボール』です
この小説は文学界新人賞をとっていて、作者はSFを書かれたりもしていますが、この作品は強烈でした
空から落ちてきた人をバットで打ち返す仕事をするという設定です
もしかしたら、本屋さんの書棚にあってもあまり手にとらない類いの本かもしれませんが、もう一度冒頭の下読みの気持ちに立ち返ってみるのです
僕が、私が、と平凡な日常生活をだらだら送るという作品が山積みにされていて、読んでも読んでも同じような人物が、世界に違和感を持ちつつあるとはいえ、どんぐりの背比べのような話を、下読みの方は読み続けてきているわけです
たまには、落ちてくる人をバットで打ち返す話を読みたくもなるものです
何が言いたいかといえば、賞レースというのはフェアではありません
下読みの方も選考委員もベストは尽くしていると思いますが、公平な判断など不可能です
その証拠にM-1でも、選考委員の評価は完全に分かれますし、皆さん自身受賞者よりも別のコンビがよかったと思うことが何度もあったと思います
当然ながらそれは決勝だけではなく予選でも同じ現象が起きていると考えた方が妥当でしょう
なので、一度や二度の落選で落ち込むのではなく、「なぜ爪痕が残らなかったのか」と考えていくことが必要だと思います